おまめ先生の日記

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教育学部だった私が教員にならなかった理由-教員採用試験の倍率低下ー

こんにちは!おまめ先生です。

 

現在保育士として働いている私は、大学時代「教育学部」に在籍していました。

omaesaaaan.hatenablog.com

こちらの自己紹介の記事でも書いています。

 

教育学部に在学していたのに、「なぜ教員にならなかったのか」

と気になる人もいるかと思います。

実際、同じ学部の中で教員を目指さなかったのは、私ともうひとりだけでした。

 

今回は、教育学部に在学していた私が、なぜ教員にならなかったのか紹介していきます。

 

 

私が教員にならなかった理由

私が教員にならなかった理由は、大きく2つあります。

 

①教員はブラック企業である。

②日本の教育は宗教である。

 

この2つが教員にならなかった理由です。

 

①は、最近問題にされているので、みなさんも知っていること多いと思います。

②に関しては、「何を言っているんだ?」と感じる人もいるかもしれません。

 

この2つについて、詳しくお伝えしたいと思います。

 

教員はブラック企業である

最近、教員のブラック労働が問題視されることが多くなりました。

 

 文部科学省の2016年度の調査によると、時間外労働が月80時間以上、いわゆる過労死ラインを超えている公立中学校の教員は約6割にのぼるというのです。

 

 先生たちは6限目まで授業をして、そのあと2時間3時間、部活動をやって、6時くらいに職員室に戻ってきて、そこから明日の準備を始める。もうすでにその時点で時間外労働なわけですよね。しかも、それがタダ働きになっている。“定額働かせ放題”のような形で働いている。これは非常にまずい状況だ

 

出典:【特集】教員の「長時間労働」問題 どれだけ残業しても手当つかない「法律」とは?(MBSニュース) - Yahoo!ニュース

 

教員の働き方についてたくさんの記事を目にするようになりました。ネットが普及し、今まで目が向けられていませんでしが、教員はブラック企業の1つなんです。

 

教員の口癖「大変だけどやりがいがある」

教育学部の授業や実習で、たくさんの現役教員の話を聞く機会がありました。

 

どの先生も話していたのが、

「大変だけど、やりがいがある」

ということ。中には、

「やめようと思ったことは、たくさんある」

と話す人もいました。

 

この「大変だけど、やりがいがある」と話さなかった人はいない!というくらい、全員がこの言葉を口にしていました。

 

当時、学生だった私は、

 

「全員が、大変だと感じる仕事(教員)は、絶対にやらない」

「やりがいよりも自分の人生(命)が大事だ」

 

と感じていました。同じ仕事をしている人全員が「大変」なんて伝える仕事ありますか??

もちろん、仕事が大変なのは当たり前ですが、

これから教員を目指そうとしている人に向かって、

「大変」「大変」「大変」・・・・

そんなことばっかり伝える仕事は、本当に大変なんだろうと思うのと同時に、私は人生全てをかけて仕事はしないと考えていたので、教員を選びませんでした。

 

口癖に隠された黒い噂

ここからは、学生時代に聞いた噂の話です。

本当かどうかはわかりません。

 

教員が口癖にしていた

「大変だけど、やりがいがある」

という言葉には、裏があるということです。

 

教員を目指す学生に向かって、

「教員は大変な仕事である」

と伝えることは、

 

働きはじめてからのギャップを少なくし、うつ病などのこころの病にならないようにするためだ。と聞いたことがあります。

 

 

2018年文部科学省の調査によると、2017年に病休を取得した教員は5077人、このうち9割は精神疾患うつ病)だそうです。

 

やる気をもって働く人ほど、精神疾患になってしまう現状があるからこそ、学生のときから、「教員の仕事は大変だ」と仕事に対する考え方を植え付けているそうです。

 

この噂は本当かわかりませんが、他にも黒い噂があるので、本当な気がしています。。。

教員の黒い噂については、別記事で上げましょうか。

 

ブラック企業には就職しない

ここまで、教員のブラック労働について書いてきましが、自分からブラック企業に入る人は、少なくなっていると思います。

 

私もその一人で、ブラック企業で働きたいと思わず、どんなにやりがいがあっても自分を大切にしたいと思い、教員を目指しませんでした。

 

ここまでは、みなさんも想像できる理由だったと思いますが、

次は、まだ注目されていない教員の闇であり、私が絶対に教員にならないと誓った理由について書いていきたいと思います。

 

私が教員にならなかったのは日本の教育に宗教感を感じたから

このタイトルにあるのが、私が教員を目指さなかった最大の理由です。

 

それもオカルト的な宗教観・・・

子どもたちだけでなく、教員も洗脳していく・・・それを感じて教員にならないと決めました。

 

ここでいう宗教感は、実際に教員をしている人は「教育観」と思っているかもしれません。ですが、外から見ていると、明らかにおかしいと感じる部分が多いです。

 

みんな仲良く!!を植え付ける

現在、日本が「個性」を大切にし、「個」を生かした時代になっていることは、みなさんも感じています。

 

ですが、日本の教育はまだ「集団」を大切にされています。

もちろん、「個性」を大事にしよう!と世間には伝えていますが、実際に行われていることは、集団を大事にすることです。

 

「みんな仲良く」を植え付けています

 

恐怖を感じた大学の授業

これを感じたのは、大学の授業での一コマです。教員を30年以上経験した方による「クラス運営」についての授業でした。

 

その日の内容は、クラスで使える(遊べる)ゲームを体験するものでした。(よくある自己紹介ゲームや、全員で手を繋ぐゲームなど)

 

この時点で、疑問を感じる人もいるかもしれません。

 

「なんでクラス全員でゲームをしなければいけないのか」

 

そのとおりだと思います。

クラス全員でゲームをすることが何に繋がるんでしょうか・・・

 

この疑問に対する答えを教授(正確には客員教授)が教えてくれました。

 

「こういった活動をすることで、クラスがうまくいきます。みんな仲良くなって、イジメも減る」

 

「はあ????」

意味がわかりません。みんな仲良くすることが、何に繋がるんでしょうか?ゲームをすることが、仲良くなることに繋がるんでしょうか??

 

もちろん、「やりたい!!」「楽しい!!」と感じている子にとっては、効果があると思います。

 

ですが、中には「やりたくなくてやっている子」もいます。

実際、私が小学生や中学生の時、クラスでやるゲームが本当に嫌いでした。

「つまらないし、やりたいとも思わないし・・・」

「この時間無駄だな・・・」

「なんでみんなでやらなきゃいけないの??」

 

あの時間は、心の中で愚痴ばかり思っていました。そう思ったことがある人、私だけではないと思います。

 

私のように感じる子どもは、もしかしたら少数派かもしれません。

ですが、少なくともそう思っている人がいる中でゲームをしても、クラスは仲良くならないし、イジメが減ることもないと思います。

 

結局は、あのゲームを通して、

「みんな仲良くすることがいいんだよ」

と教員から子どもたちに対して考えを植え付けているだけだと思うんです。

 

あの授業は、私にとって日本の教育の闇を見た恐怖の瞬間でした。

 

時代遅れな日本の教育

今の時代、「みんな(集団)」よりも、「個」が大事にされているのに、いまだに「集団を意識した指導がされているのが、日本の教育です。

 

それも、これからの時代の教員を育てる教育学部でそういった授業をしているんです。

素直に教員になりたいと思っている学生は「それがいいんだ!」と思って、教員になってからも疑問を感じずに指導するでしょう。

 

時代を意識せず、経験と教員の思いだけで、子どもに教育しようとする姿は、私には宗教にしか思えませんでした。

 

「これが正しい!!!」

とひたすら植え付ける。私が見た日本の教育に「個性」はありませんでした。

 

そういった現状を見て、お世辞でも「教員になりたい」とは思えませんでした。

だって、子どもたちにその考えを植え付けるのも嫌だし、自分がそっちに染まっていくも嫌でしたから。

 

教員にならなくてよかった

 

現在、保育士として働いていますが、心から教員にならなくてよかったと思います。

 

・ブラック労働で、自分が潰れることもなく、

・子どもの個性をつぶして集団を育てることもなく、

 

本当によかったです。

 

保育士と教員、子どもに関わる仕事としては同じですが、

・定時でほとんど帰れる

・子どもの個性を大切にすることができる

という意味で、保育士になることができてよかったと感じています。

 

もちろん、今教員として働いている人は、凄いと思っています。

あの労働環境の中で子どもたちに向き合うのは、本当に大変です。

私は、絶対にできないです。そういった中で働いている人がいることは、本当に頭があがりません。

 

教員の労働環境がよくなるといいなと思いながら、今回の記事をしめます。